南濱墓地 墓石調査 Rブロック

まずは配置図を作成しました。

   各列をA~Vとしてそれぞれの墓石に番号をふって A-3 のように区別します。(あ~面倒だなあ)
   青い四角は一族墓で、現在も祀られています。他に祀られているのは小数です。


Rブロックには台座に屋号をつけた墓が多いのです。


右から順に
R-1  正面   宗順
          尼妙壽
    右側面   宗静
           尼妙順
    台座    母濱
          惣助

R-2  正面   誓壽
         壽昇  ●
         妙昇
   上台座   笠宗
   下台座   ●惣
         2段に積まれた台座は別々の墓のものに違いなく、左に落ちている笠石もどこか別の墓のもの。
         というわけで、横向きに乗っている竿石もどうだか不明です。

R-3  正面   妙證  元浄
         浄圓  浄清
         妙霜  妙和
    台座   笠茂


R-4  正面   浄圓
         浄琳
         妙浄
   右側面   圓  文政七年甲申三月三日(1824)
         琳  文政九年●戌四月十六日(1826)
         妙  日付は刻まれていない
            推測ですが、浄圓と浄琳の2人の親の墓を妙浄が建てた。
                    自分も同じ墓に入る積もりで名前を刻んだが
                    死後この墓に埋葬されることはなかった・・・ なぜ?
   台座    笠屋宗兵衛     では宗兵衛とは何者なのか?
                   浄圓なのか妙浄なのか


R-5  正面    釈道白
   右側面   道白   教恵
         妙貞   妙恵
         教遷   教●
         妙通   妙●
   台座    笠喜


R-6  正面    先祖代々之墓
   左側面   川名部氏
   右側面   道應
         妙道
   裏面    ●●●●八月二十七日
   台座    笠屋彦七      ここでようやく笠屋の苗字がわかりました。


R-21 正面       蒲生氏
         妙法 松浪為三日道墓
   右側面   寛政三辛癸二●●●(1791)
            七月七日
   左側面   世話人 釈常信    なぜ世話人の名が戒名?
   台座    門弟中        墓の主は一体何の師匠だったのでしょうか?


左端はこの墓地では珍しい五輪塔です。
R-18  台座   元????年
         嶺久院?????
         十一月二十日

足元に並ぶ3つの墓石のうち中央に立つのが
R-16  正面   蒲生●●       R-21と同じ蒲生一族です。